| 腰越独立教会の歴史 | 初代牧師:戸川二郎 |
| 腰越独立教会は、1950年(昭和25年)7月16日に創立されました。 教会が生まれるまでの事については、別項の読売新聞に掲載された記事でおわかりのように、 アメリカに居られた新居姜子姉の30年に及ぶ祈りの結晶であって、実に神の御計画によって 設立されたものであります。 新居姜子姉は太平洋戦争の終るのを待ってマッカーサー元帥の渡日許可を申請されましたが 可成の期間がありました。やっと渡日されても滞在許可は僅か60日でその間に設立地を 決定するため真剣に祈られたのでした。 どうして私のような者が指名されたか。その経緯について新居姉の書かれたものを 引用いたします。 「戸川二郎牧師は、有名なる米国ロスアンゼルス市のホーリネス教会の盲目伝道師で いらっしゃいました新里貫一先生と、常に聖霊によるお交わりを受けて居られたの事、 実に新里先生はすばらしい伝道者で居られました。その新里先生の御紹介で来られたのが 戸川先生でした。 それは、1949年8月3日の朝6時2階の一室で『早く良い牧師が与えられますように』と 祈って、階下に降りてくると戸川先生が玄関先に立って居られ、私は非常に驚いて 殆ど息が止まる思いでした。 応接間でお話をしました結果、(今までに何人かの牧師が来訪されましたが、 信仰の点でお断りしていました。)戸川先生とは全く同じ信仰でしたので、 牧師となることをお願いしましたが、その時、先生は即答はなさいませんでした。」 これが同姉と初対面の記事です。私は1935年に淀橋教会副牧師に任命されましたが、 その翌年新里師が来日されたのです。同県人でもありましたので、 親しくお交わりをしていました。 私としては、鎌倉と言えば700年の仏都であり、200の寺社があると聞いただけで 無力の自分にはとても無理と考えました。ところがホーリネス教団の委員長である 車田師御夫婦が励まして下さり、開拓伝道の十字架を荷う決心をいたしました。 会堂は、翌夏竣工いたしましたが、牧師館が無いため、会堂の西北隅に9畳間を造り、 家族5人の住居として牧師館かできるまで、21年間、生活を致しました。 水道が引かれたのは更にその3年後でそれまでは井戸を使い、台所も外部の小屋で ピューリタンのような生活でした。 何よりも、開拓の時より、外部の援肋を受けず、ここまで、自給の出来ましたことは、 イスラエルを40年間養われた神が今も同じく肋けられたあかしができ 衷心より聖名を崇めるものです。 |
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