小学校の同窓会が開催された。中学校の卒業のときに集まったらしいが、私は欠席したのでほとんどの同窓生とは卒業以来実に49年ぶりの再開となった。私たちはようやく戦争の痛手から復興した昭和25年に小学校に入学した。私の通った学校は私立で6年間同じクラスで担任の先生も6年間同じだった。だからクラスの仲間意識も強かった。学校は小学校から大学までありほとんどの生徒はそのまま中学校に進んだが、私は皆とことなり別の中学に通ったためいつしか同級生とは疎遠となっていた。 当日は卒業生38名のうち半数の19名が参加した。会場に到着して見渡したところ半分くらいはなんとか見分けがついたが、あとの半分は顔も名前出てこない。誰かがあれ「NED」ではないかと叫んでくれた。あとは「久しぶりだ」の声と握手攻めだ。 みんな私もことを覚えていてくれて感激した。落ちついいて周りを一人一人を見回すと50年近くたっているのに皆小さい頃の面影を残している。すぐに童心に返り、名前を呼び捨てで話を始めた。 やがて一人一人が今までの経歴を話し始めた。驚いたのは一人だけこれから子供が生まれるという男がいたことだ。それぞれ社会で苦労をしてきたと思うが、それはあまりおくびにも出さずに淡々と過去の話をする人が多かった。それに比べて女性人は様々な経験談をしてくれてた。私たちの世代は男女同権が叫ばれて育ってきたが、やはり女性の方が苦労が多かったみたいだ。苦労に苦労を重ねてようやく同窓会で昔話に花を咲かせるという時が来たという感じだ。男も女も一人一人が歩んできた道は異なっているが、共通しているのは逞しくそして優しく生きていたことだ。 還暦をすぎてようやくゆとりが出て来たのだろうか?みな実に若々しい。これからが本当の人生が始まる感じだ。私も病気に負けないでこれからの人生を同級生とともに逞しくて優しく歩んで行きたい。。 (2004年11月23日) TOP 140.新たな戦い 10月に手術後半年経経ち念のため、CTやMRIそれに超音波検査など最新鋭の機械を使って何回かに分けて検査を行った。その結果残念なことにがん細胞が肝臓に転移していることが認められた。医師も少し早い転移だと驚いていたが、私は2度における抗がん剤の集中投与でがん細胞は消滅していたと信じていたので受けたショックは大きかった。 手術後、体重こそは減少してまだ元に戻らないが、食欲もあり、徐々に歩く距離も増えてほぼ手術前と同じような生活を過ごせるようになっていた矢先のことだ。前の食道がんの時は自覚症状もあったが、今回は何も無い。唯一の救いは早期発見で あったため細胞が小さく何らかの手を打てることだ。ただ、食道がん細胞が転移して肝臓にある状況なので肝臓を丸ごと取らない限り手術という選択肢はないそうだ。また、一年に2度の手術は体力的に無理みたいだ。 5月と6月に集中投与を受けた抗がん剤は効き目が薄いと医師団が判断をされて、これからは新しい抗がん剤の投与を受けることとなった。新しい薬は日本で承認されて2年程で効果は抜群だが、体質によっては副作用が起きる可能性がある。そこで、11月の初旬に1週間の入院して新薬の効果と副作用を確認してきた。幸いにして副作用は起きず、効果も見込めると医師が判断したのでこれからは隔週ごとに病院で新しい抗がん剤の点滴を受けることになった。恐らく来年春まではこのような形の治療で様子を見ることになる。こんどこそ、体中のがん細胞を完全に滅亡させるつもりだ。がんとの闘いは終わったと思っていたのに、また新たな戦いが始まる。 (2004年11月15日) TOP 139.これからは人災 新潟で大きな地震が発生した。鉄道や道路が分断され、多くの家屋が倒壊した。死亡者は30名を超え、さらに増え続けている。また、余震活動も活発で一向に収まる気配も無い。発生後5日経った今でも10万を越す人々が不自由な避難生活を続けている。被災された方々にには心からお見舞いを申し上げるとともに一日もはやく通常の生活を取り戻されることをお祈りしています。 テレビや新聞で見ると被害のすざましさに驚くばかりだ。その中で被災された方々がお互い助け合いながら共同生活を送る姿に胸を打たれた。日常のコミュニティ活動が生きているのだと思った。また、自衛隊を始め地方自治体の方々や多くのボランティアが救援活動に取り組まれている様子にも感動した。みな不眠不休で活動されているので、体調等を崩さないかと心配している。 それに比べて政府の対応の遅さと冷たさには驚きを通り越して怒りを感じている。小泉さんも震災後4日目にようやく現地視察を数時間行っただけだ。いくら防災担当大臣がいるといっても、任せきりにしないで陣頭指揮を執ってほしい。このような時こそ指揮官としての力量を発揮する時だ。各官庁も相変わらずの縦割り行政でバラバラの対応をしている。例えば農林省は昨日ようやく自分たちが備蓄している食料の放出を決めた。現地に届くのはさらに1週間かかるという。また、災害復興には多大なお金がかかるので補正予算を組むという。でも、なぜ来年の通常国会まで待たなくてはいけないのか?今、開会中の国会で決められないのか?役所には役所の論理があると思うが、今はその壁を取り除き被災された方々の一日も早い復旧作業をする時だと思う。 報道によると一部の自民党幹部は民放が岡田民主党党首の現地視察の映像が長すぎるとクレームをつけたという。また被災地区はあの田中真紀子の地盤だから復旧作業はそこそこすればよいと考えている議員がいるという。なんという悲しい話だ。今までは天災で止むを得ないが、これから起こることはすべて人災だ。このような時こそ政争を忘れて国が先頭に立って被災者を救済するときだ。国以外は誰がするのかと問いたい。 (2004年10月27日) TOP 138.パソコンのない生活 パソコンが突然壊れて1週間ほど入院していた。原因は不明だが、なんらかの理由でハードディスクが破壊されて結局メーカーに送りハードディスクを全部取り替えた。そのため今までCとDドライブに入っていたすべてのソフトや写真それにメールや文章が消滅してしまった。ソフトは入れなおせば済むが、写真は新しいカメラになってからのは全滅で返す返すも残念だ。これからはもっと小まめにCDRに保存しなくてはと強く反省した。 このところ時間の余裕もあり、大体一日3〜4時間パソコンと向き合っていた。パソコンが壊れて急に余裕の時間を持てることになった。たまたま先週は、病院での診察が2日あり、また100人委員会の夜の会合が3晩あったので無聊をかこつことは少なかったが、それでもパソコンのない生活はなにか心の支えがなくなった感じだった。パソコンがないので写真も撮りに行かなかった。自分がいかにパソコンに依存していた生活を送っていたか痛感した。なによりも困ったのは、会合等の連絡がすべてパソコンを通じて行っていたので、慌てて電話をしたりして何人かに多大な迷惑をお掛けした。 パソコンのない生活は寂しい限りだった。反面なんとなく肩の荷が下りた感じもした。このところ少しホームページの更新のネタに行き詰っていたし、日記もマンネリだった。時々夕方になると今日はなにを書こうかと考えてしまう日もあった。なんとなくホームページの維持管理が重荷というか義務感で進めていた感じがする。日記は自分の日記だから毎日書く必要もないと思うが、書かなくてはというプレシャーと気負いがあった。まあ、そうでも考えないと元来ズボラな私には継続出来なかったかも知れないが・・・ 10日ほどパソコンのない日々を過ごして感じたのは、パソコンとはもっと気軽に接していこうということだ。義務でなく自分が楽しむためにパソコンを使いこなす。これからはのんびりとパソコンを楽しみたい。それが今回得た教訓だ。 (2004年10月19日) TOP 137.金時持ち 「金時持ち」。これはある大手広告代理店が今後の消費活動のキーワードとして造語したものだ。これから2007年をピークにいわゆる団塊の世代が定年になり、一大消費マーケットを築くと予測している。レジャーにしてもフアションや食の分野でも彼らの関心をいかにして掴むかが鍵だと言われている。なるほど言い得て妙だ。その世代の先駆けとして少し羨望をこめて同感出来ないことはない。特に「金」はともかく「時」は有り余るほど持っている。 昨年9月末に定年退職してから今まで出来なかったことが出来る自由時間が大幅に増えた。私は元来家でじっとしているのは苦手だから外でなんとか活動したいと考えて従来から関係していたボランテイア活動に積極的に取り組んできた。その後病気をしたこともあり、現在はその活動のペースを落としているので時間が有り余るほどある。時には「時」の消化に苦しむこともある。今はデジカメに凝っていて、連日のようにカメラ片手に鎌倉の街を歩いている。お寺に行くとカメラを抱えた同年代の方々と会う。皆、自由な時間を趣味に過ごしている感じだ。まさに「時」持ちである。 お金は個人によって満足できる額が異なるから一概には言えないが、住宅ローンと子育てが終わっていると今の年金でなんとか生活が出来ると思う。しかし、インフレや年金制度の崩壊など予期出来ぬことが起ることがあるから将来に対する不安がある。それなりに預貯金を持っていてもメーカーが期待する「金」持ちにならないと思う。上をみたら限りがないので取り合えず今の生活で満足する、あるいは満足している格好をしているというのが事実だ。確かに高額商品が飛ぶように売れているらしいし、多少高くても旅行なども「ゆとり」を持ったスケジュールが好まれているみたいだ。でもそれはほんの一握りの人ではないかと思う。 「豊かな老後」・「金時持ち」は魅力的な言葉だ。その言葉通りに生きていければと思う。現実は「金」は使わないで貯めながら、いかに豊かな「時」を過ごせるかが今後の課題だ。みんなそこで苦労している。 (2004年10月5日) TOP 136.近況報告 食道がんの手術をしてから半年が経った。幸い手術後の経過は順調で、抗がん剤の治療後に減少していた白血球数も増加してきた。昨日は半年経ったのでCRTと超音波検査を受けてきた。結果は10月の前半に出る。今の体調から感じると問題はないと思うが、がん細胞が転移していないことを祈るばかりだ。 半年で本当によくぞここまで回復したと思う。今は食事は揚げ物を含めてなんでも食べられるようになった。また、アルコールも夕食時や会食ではワインを一杯飲んでいる。ビールもようやく少し飲めるというか嘗めれるようになってきた。食事の量も朝と昼は手術前と変わらない。ただ夕食だけは以前の8割くらいだ。そこが影響しているのか、体重は全然増加しなくて依然として40キロ台だ。なんとかこれを手術前の8割の56〜7キロに戻したいと考えているが4〜5年かかりそうだ。ただ、食事が進むと胸が引きつる感じは依然とする。時には苦しくなり食べられなくなる時がある。今でも食後30分間は安静にしている。 「のどの下の胃袋」にも慣れてきた。なんとなく重い感じがするので前かがみになる癖がつきかけている。出来るだけ背骨を伸ばすように意識している。手術跡も想像以上に綺麗になった。特に首周りは良く注意しないと見えなくなってきた。ただ、右わき腹上が時々痛み、右手を真上に伸ばすのに痛みを感じる。ゴルフは当分無理だ。歩くのには支障がないが早足や坂を登る時には息切れを感じる。また、気持の上で歩きたくないと感じる時が多く、今までは往復とも歩いていた鎌倉に行くにもバスを利用することが多い。車でお寺巡りをすることもある。肺活量の減少が著しいみたいで健康時の6〜7割りしかない。これも時間をかけて少しずつ復活するしかない。 最近食道がん専門の掲示板に入会した。多くは家族が会員で、父や母の病状を報告しあい、お互いが励ましながら情報交換をしている。みなこの病気に対して大変な苦労をしている。私もまだ完全に回復したわけではないが、なにかお役に立てればと入院時の経験や治療報告をしている。ここまで回復できたのは家族や友人たちの励ましに負う所が大きい。また、ネットで知り合った友人たちからも多くの激励を戴き感謝している。これからも頑張りますので宜しくお願いします。 (2004年9月28日) TOP 135.プロ野球に思う 近鉄とオリックスの合併問題を機にプロ野球界が揺れに揺れている。選手会のストは取り合えず先週末は回避出来たが、この18日・19日も予定されていて今の所どうなるか判らない。私は選手会の気持を理解しているし、心情的には選手会を応援しているがなんとかストだけは回避してもらいたいと思う。このまま進むとますますフアンの野球離れが進むのを憂いている。そのためには経営サイドが譲るべき点を譲り、野球界の真の発展のために努力しなくてはいけないと考える。 今回の一連の動き見ているといくつか腑に落ちない点がある。第一は球団経営が苦しいというが、その実態があきらかでない。ダイエーなどは年間300万人の観客を集めながら数十億円の赤字だという。納得出来る説明は何も無い。選手の年俸の高騰やテレビ放映の無さ等がその原因だと言われているが、そこには球団もプロ野球機構も黒字にするための努力が少しも感じられない。入場者数の水増しをはじめ、裏金存在など旧態依然とした仕組みのまま運営していたら赤字が出るのは当たり前だ。 時代の変化とともに企業の衰退が起るのは当然である。今回近鉄が本社の赤字を解消するために球団を手放したいと考えたのは理解できる。でも本当に合併以外の選択肢はなかったのか?そこに疑問を感じる。やはり世間の噂通り、某前オナーに媚びて始めに1リーグ制ありきの発想から始まったのではないのか?話題のライブドア以外にも球団経営に興味を示している企業は多々あると聞く。野球界の発展のためにはもっと新規参入企業に門戸を開いたらどうかと思う。今の球界は村社会の掟に縛られて身動き出来ない感じがする。既存球団のオナーたちは皆先進で一流企業の代表者たちだ。政府の規制緩和推進委員会の議長もいる。球界の規制緩和も進めて貰いたい。 コミッショナー初めセ・パ両リーグ会長たちの動きも不可解なことが多い。動きというか動かないことに不満だ。今こそ、今後の日本のプロや野球をどのような方向に持っていこうとしているのかビジョンを示す時期だと思う。彼らは皆高名な官僚や経営者だった。いくら「雇われ」だとしてもその職責上、積極的に動くのが使命だ。実力オーナーの顔色を窺って右顧左眄している姿は見苦しい。 機構首脳や経営者に比べて古田会長始め選手会の人々の態度は立派の一言だ。知的で理路整然としてしっかりとした主張を持っている。多くの人が選手会を応援するのは無理がないと思う。私は小さい時から野球フアンだった。プロ野球の発展とともに歩んできた。それだけに今の現状を見ていて忍びない。なんとかプロ野球が存続して益々発展することを祈っている。 (2004年9月13日) TOP 134.オリンピック雑感 2 アテネオリンピックが閉幕し、日本選手は史上最多の37個のメダルを獲得した。また、金メダルも東京オリンピックと同数の16個を得た。私は今回は時間的余裕があったので、連日連夜テレビの前で応援した。普段はは日本人や愛国心をあまり意識しないが、オリンピックでは日本選手の活躍に一喜一憂した。日本選手に興奮と感動をありがとうと言いたい。そしてお疲れ様でした。 金メダルを目指していた野球が銅メダルに終わった。メダル獲得を「良し」とすべきだが私には残念でならない。今回は金メダルを目標にオールプロで臨んだ始めてのオリンピックだった。結果としてプロ野球関係者はオリンピックを甘く見ていてのではないかと思う。それは、今回のチーム構成を見れば判る。日本のプロ野球に影響を及ぼさないために1チーム2名の選手枠を設けたことに如実に表れている。試合を見ながら、この枠を取り払い「最強チーム」で臨んだらと何度思ったことか。特に代打陣の不在が痛かった。それと、やはり監督不在は大きかったと思う。長嶋不在は相当前から推定出来ていたのに、中畑という監督未経験者を監督代行にしたのは納得出来なかった。結果論になるが、これがもし星野や他の監督だったらという思いが残る。野球関係者は今回の結果を踏まえて、次の北京に向けてしっかりとした方向性を示して欲しい。オリンピックは参加すれば良いのでなく、勝たなければ価値がないということを肝に銘じて欲しい。 シンクロはデュエットもチームもまたも宿敵ロシアに敗れて銀だった。選手たちの日頃の猛練習を見聞していたので本当にご苦労様といいたい。しかし、私はテレビを見ていて、これがスポーツかと少し違和感を感じた。作家の沢木耕太郎が新聞で「シンクロで悲しさを発見した。それは『媚』を売るからだ」と書いていたが同感だ。美しさや華麗と無縁の世界がスポーツの世界だと思う。審判に『媚』を売る採点競技はシンクロ新体操だけだ。笑顔やメークまで芸術性という名の下に採点されるのは酷な感じを覚えた。また、テーマを「ジャパニーズ・ドール」とか「武士道」にしたのも失敗だったと思う。ここまで審判に『媚」を売る必要があったのかを検証して貰いたい。 同じ新聞に銀メダルの表彰式に臨む選手の態度が一番難しいと書いてあった。悔しさと嬉しさが入り交えて選手も複雑だと思う。その点、シンクロの選手たちは見事だった。嬉しさを体中に表現して見ていてこちらにも喜びが伝わって来た。女子レスリングの銀メダルを取った選手の無表情と対照的だった。選手を攻めるのは不本意だが、全力で戦ったあとの清々しさが伝わらなかったが残念だった。 今回ここまで大活躍すると次の北京が大変だなと思う。これから各競技団体や選手は結果を分析して次に向けての戦略を練り上げて練習を開始する。長い道のりで苦労も多いと思うが、日本中が応援していることを忘れないで頑張って欲しい。4年後の戦いは既始まっている。 (2004年8月31日) TOP 133.ギャップの解消 この所「明日の鎌倉を創る100人委員会」のヒアリングや折衝で連日のように鎌倉市役所の職員と接している。彼らは皆仕事熱心で私たちの様々な要求に対しても嫌な顔を一つもしないでにこやかな態度で応えてくれる。また、個々の能力もとても高く感じら鎌倉の未来を真剣に憂いてる。業務に関する質問に対しても理路整然と説明を行いその知識の高さに驚かされることがある。私が今まで接してきた市役所の窓口業務の人たちとは大違いである。恐らく市当局の方針として優秀な職員を政策立案業務や予算管理業務に配属しているからだと思う。 ところが不思議なことに個々として優秀な職員が組織の一員としてなにかの判断を求められると急に歯切れが悪くなる。我々の意見には賛成だが実施するかどうかは別次元の話しということがよくある。例えば現在鎌倉市では公聴広報課が「広報かまくら」という印刷物を年間20回発行して市政に関する「お知らせ」を一般家庭に届けている。また、地域情報課がホームページを運用して同様な「お知らせ」を掲載している。ところが二つの課では内容に関しての打ち合わせがないため、市民に対して発信される情報が統一されていない。また、本当に市民が求めている情報を把握していないので「お知らせ」が一方通行となっている。 それぞれのメディアの特性を活かし、行政が発信する情報を一元化したほうが効率的であるし市民生活にも役立つと指摘しても、考え方は理解できるか実現は不可だという。何故駄目かの説明もない。自分の所には他所から口を挟まれたくないという組織防衛本能が優先されている。同様の例が多数ある。今後はNPO等の市民の力を行政に活用して行政を効率的に運営することが必須であることが理解されているが、いざ「協働のルール」を作成すると行政と市民は対等でなく、行政が市民をコントロールしようとする。行政はNPOを下請けとして活用したいと意図が前面に出てくる。自分たちの組織を守り、足りない所をNPOで賄う。いわばNPOのアウトソーシング化だ。 個々には高齢者社会を迎え財政危機に面している鎌倉市の将来を真剣に考えている多数の優秀な職員。その同じ職員が組織改革に向うと急に無気力になる。私にはそのギャップがどこからくるのか今一つ理解出来ない。今確実に言えるのはそのギャップの解消に向けてなんらかのアクションを起こすのが我々100委員会の使命だ。それが明日の鎌倉につながる。残された期間は少ないが私は全力をあげてこの問題に取り組んで行きたいと思う。 (2004年8月24日) TOP 132.オリンピック雑感 アテネオリンピックが始まった。私は野球や男子サッカーなど一部の競技を除いて関心がうすかった。開会式前に行われた女子サッカー(なでしこジャパン)の勝利でなんとなくオリンピックに対する興味が湧いてきた。それが、開会式のビデオを見て驚いた。歴史と水を背景に人々の団結をテーマにした式典が素晴らしかった。失礼ながら、現代ギリシャにこれだけの芸術性を持った演出家がいるとは想像もつかなかった。光と空間の使い方のうまさに圧倒された。 選手入場も良かった。どの選手の顔も生き生きとしてオリンピックに参加している喜びが全身から溢れ出ていた。国別に国旗を先頭に入場したが、そこには明らかに一昔前の国の威信をかけた行進ではなく、主役は選手であるという思いが読み取れた。見ていて選手がのびのびとしているのが嬉しかった。少し前に行われた甲子園の軍隊式の行進が選手の個性をうばっているのと対照的だ。選手も観客も一体となってオリンピックという人類最大の祭典を楽しむという姿勢に共感を感じた。 谷亮子選手の金メダルには感動した。直前の怪我を克服して良く頑張ったと思う。一番驚いたのは畳の上の表情と普段の時の表情の差だ。これが同じ人物かと思うくらい異なっていた。対戦相手に向けた笑顔のない真摯な顔と金メダルを胸に喜び溢れている顔。10歳以上も異なるように見えた。どちらの顔も素晴らしい。昨夜の内柴選手の金メダルと横沢選手の銀メダルにも感激した。二人とも全然下馬評にも上がらなかったのが良かったのかも知れない。ほとんど無名の二人が戦っている姿を見て、なんとなく黙々と働いている会社の同僚の姿を思い浮かべた。世の中努力すれば報われるということを二人は無言で教えてくれた感じがする。 男子サッカーは残念ながら予選で敗退した。少し期待が大きすぎたのかも知れない。彼らは皆23歳以下だ。これからの日本サッカーを背負って立つ逸材ばかりだ。この敗戦を明日につなげて欲しいと思う。北島選手の金を含めて早くも前回に並ぶ勢いだ。これから水泳・野球・体操・陸上更には柔道等で日本選手の活躍が続きそうだ。猛暑で沈滞気味の日本に明るい爽やかな風を吹かして欲しいと思う。当分睡眠不足が続きそうだが、それもまた楽しいと考えている。 (2004年8月16日) TOP 131.この一年 満61歳の誕生日を迎えた。思うに60歳から61歳までの一年間は本当に色々有った年だった。昨年の今頃は、還暦のお祝いの食事をして、赤い帽子を贈られて悦にいっていた。仕事もほぼ終り、最後の夏休みを計画を立てながら定年後の期待と不安に胸を膨らませながら送別会や新生活の準備に一日一日を充実した生活を過ごしていた。 花束とともに9月末に退職して生活は一変した。毎日が日曜日。あれもやりたい、ここにも行きたいと夢が大きく湧いてきた。孫の誕生は嬉しいプレゼントだった。無心に眠る顔を眺めて幸せを感じた。失業保険や年金等の手続きも済んで生活の目途も立って来た。ボランテイア活動にも積極的に参加をし、これからの生きがいを見出そうと懸命だった。読書や旅行それにデジカメの勉強を始めた。今考えるとその頃から身体に異変が生じていたのだと思う。 食べることに違和感を感じるようになり近くの病院で検査をしたのが1月末。食道がんと診察され大学病院で様々な検査を行った。なんど胃カメラを飲まされたことか。幸い手術は無事済んだ。その後の2度に亘る抗がん剤の集中投与はきつかった。病気になり初めて健康の大切さを学んだ。体調も戻りつつあり、今は再発の恐怖感を忘れるようにしている。体重は減滅したがなんとか生活ししている。その間に悔やんでも悔やみきれない母の死を迎えた。本当に辛かった。家族や親戚それに友人たちの励ましの言葉が有難かった。 この一年を振り返るとなにか5〜6年分の体験をしてきた感じだ。様々な出来事を経て自分も急に年を取ったと思う。体力面でもそうだが気力でもそうだ。根気がなくなり新しいことにチャレンジする意欲が湧いてこなくなってきた。なにをするにも面倒と感じる時がある。体力の衰えが気力を減少させている感じだ。医者によると体力も体重も手術前の7割位しか戻らないという。次の一年はこの体力に有った生き方を捜して頑張りたいと思う。 (2004年7月27日) TOP 130.こんなもの 小泉政権の信任を問うといわれた参議院議員選挙が終了した。結果は、民主が躍進して自民が少し減らした。与党全体では単独過半数を確保しているので、なにも変らないといっても良いとも言える。なんとなく、しらけた結果で「こんなものか」というのが素直な感想だ。国民の民意の表れだから尊重しなくてはいけないと思うが、与党全体には真剣な反省もないし、なによりも今回の選挙で問われた「謙虚」さが欠けていると思う。 選挙の結果を受けての記者会見でも、小泉さんは言葉だけは少し丁寧になっていたが、相変わらずの強気で反省の言葉も少ない。また、負けたら「重大な責任を取る」といった自民党幹部も今の所誰一人辞める気配がない。あれだけ反対が多かった年金法案に関しても改正や廃案にならずこのまま執行されるのだと思う。なんのための選挙だったのかという思いがある。選挙を棄権する人からはよく「どうせ投票してもなにも変らないから棄権する」という言葉を良く聞く。まさに今回の結果とその後の政府・自民党の対応を見ていると、そのように感じる。これでは国民の政治不信を益々増長させていくのではと心配している。 私は、再三書いてきたが、市場原理主義者で競争社会をもっと導入すべきだと考えている。そして小さな政府の信奉者でもある。その意味では小泉改革の賛同者である。しかし、今の改革の歩みは遅すぎると思う。その観点から眺めると、竹中さんが72万票という他の自民党候補者の倍以上の票をを取って取って当選したのは喜ばしい。この票をバックに懸案の郵政民営化を進めて欲しいと思う。しかしながら、強力な郵政民営化反対候補も当選したし、民営化に反対している「特定郵便局長会」の応援を受けた候補も上位当選した。ある意味では、民意はこのこの問題に関して微妙な「バランス感覚」を発揮したのかも知れない。別の言葉で言えば、この問題に関しても「こんなもの」かという感じがしないこともない。 ともあれ選挙は終了した。このままいけば3年間は国政選挙がないと言われている。小泉さんには言葉通り、より改革のスピードを加速して欲しい。また、岡田民主党には、小泉政権の「驕り」をチェックして欲しい。民主党に寄せられた多くの期待を背にうけて妙な妥協をしないで頑張って欲しい。政治とは「こんなのも」という失望を与えないのが民主党の役割だと思う。 (2004年7月14日) TOP 129.鎌倉らしさ 昨年11月から活動している「明日の鎌倉を創る100人委員会」の中間報告会が開催された。これは平成18年度から平成27年度までの10年間の鎌倉の基本計画をを市民の立場から提言し、市民感覚に沿った街作りを目指そうというものである。委員会は、国際交流・歴史風土・生活環境・子育て・安全安心・地域活力の6つの部会に分かれて活発な検討を行って来た。私は地域活力部会に所属しているが、議論が佳境になった3月中旬から入退院を繰り返したため肝心な時に留守をして他の委員の方々に迷惑をかけてきた。 鎌倉も他の多くの地方自治体と同じように、財政問題や少子高齢化社会への対応、さらにはゴミ処理や緑と海浜の保全といった環境問題など様々な課題を抱えている。各部会報告はこれらの諸問題を情報の一元化や行政の再組織化、そして住民参加の街つくりで解決を図り、「古都としての風格を保ちながら生きる喜びと新しい魅力を想像するまち」を創るために様々な提言を行っている。 各部会の報告は極めて多岐に渡っていた。なんとかして鎌倉を活力ある街・住み良い街にしたいという委員の思いが籠っていた。そして各部会の共通した隠れテーマは「失われつつある鎌倉らしさの維持・発展」だ。「鎌倉らしさ」とは何か?鎌倉市民や鎌倉好きの人々、あるいは鎌倉に来たことはないが映画や文献で鎌倉を知っている人々など人それぞれで鎌倉に対して持つイメージは異なると思う。数多くのお寺に代表される古都としての風情、緑の多さ、自然の豊かさ、閑静な住宅地などが「鎌倉らしさ」の要素となっていると感じている人も多いと思う。 しかし本当の「鎌倉らしさ」は、わが国初の武家社会の誕生とそれにかかわる文化の発信の歴史。この流れを受け継いだ明治以降の多くの文化人が愛した活躍した街。この文化環境とそれまでの歴史をベースに豊かな自然環境と住む人々の鎌倉を愛する心が融合して「鎌倉らしさ」が出来たものだと思う。私は「鎌倉らしさ」は単に緑に囲まれた閑静な住宅や落ち着い街並だけではないと思う。それらの環境に住まいながら、人々が新しい生き方の情報発信を行うことが「鎌倉らしさ」の原点だと思う。鎌倉という名前に安住せず、鎌倉から新たな文化を起こす。主役は環境や風土ではなく住民だ。それが各委員の共通した思いだと感じた。 これから委員会は秋の本報告に向けた活動を開始する。私は今までご迷惑を掛けた分「「失われつつある鎌倉らしさの維持・発展」のために頑張りたいと思う。 (2004年7月6日) TOP 128.雅子さま この半年ほど気に掛かっているニュースがある。それは皇太子妃雅子さまの病状に関することだ。昨年12月に神経性帯状ヘルペスで休養に入られると発表されて以来公の場に姿を現されていない。静養先が天皇家の別荘でなく、雅子さまのご実家の関係だったから様々な憶測が生まれた。そして、静養先からお住まいの東宮御所に戻られてからも病状に関しては回復されつつあるという報道はない。 また、5月初旬には訪欧に出られる前の記者会見で皇太子さまは「雅子の人格やキャリア否定する動きがあった」と異例の発言をされた。制限された外国訪問やいわゆる「お世継ぎ問題」への圧力がその背景にあったと推測されている。私は雅子さまの病状を悪化させたのは、12月10日に行われた湯浅宮内庁長官の「秋篠宮家のお考えはあると思うが、皇室の繁栄を考えると3人目を強く期待したい」という記者会見での発言であると思う。 これほど雅子さまの人格や皇太子ご一家の幸福を否定した発言はないと考える。許されないし、長官は即刻更迭されるべきだったと思う。なぜマスコミや国会はこの発言を無視しているのか不思議でならない。第一に秋篠宮さまご夫妻にとっても「はいそうですか」と子供を産むわけにもいかないし、これでは産みたくても産めなくなると思う。それよりもこの発言は、「男女同一社会」という憲法の理念をを明らかに否定している。朝日新聞の調査によれば、国民の76%が女性天皇に賛成しているし、自民党も民主党も女性天皇認めている。天皇は男性であるべきだと考えている人がいることが、私にとっては驚きだ。 雅子さまにかかる「世継となる男子出産」へのプレシャーを薄めることが病状回復への第一歩になると思う。今度の参議院選挙が終わったら、政府も国会も速やかに皇室典範を改正して女性天皇への道を開く時がきたと思う。それが国民の皇太子ご一家に出来ることだと思う。実をいうと私は天皇制のあり方などはあまり真剣に考えたことがない。なんとなく今の「象徴天皇制が良いのかな」と思うくらいだ。でも、雅子さまが一日も早く回復されて、あの明るい笑顔を見せてもらいたいと思う。 (2004年6月23日) TOP 127.今一度若さを 6月7日から15日まで2回目の抗がん剤の集中投与を受けるため入院してきた。3月下旬の手術からはこれで3回目の入院だ。何事もなければこれが最後の入院となる。がん細胞が全て消滅したことを祈るばかりだ。これからは月1〜2回定期的に通院して新たな細胞の発生の有無などを検査していくことになる。 それにしても今回の入院もきつかった。医師団によれば、抗がん剤も改良されて、髪の毛が抜けるとかの副作用は少なくなったと言う。しかし、吐き気が出るのは仕方がないらしく、医師からは食事は無理に病院食を食べなくても良いと言われたので、ほとんどの食事は家からワイフに運んでもらった。それでも吐き気が収まらず、食事の量は通常の半分程度だった。でも一番つらかったのは、倦怠感との戦いだった。本を読んでも集中できず、ただひたすら横になって時の過ぎ去るのを待つだけというのが耐え難いものがあった。考えるのは病気のことと将来への不安だけ。今、退院して庭の緑を見ながら書いているが、もう2度と入院生活は送りたくないという気持ちだ。 私は身長が164センチ。いわゆる標準体重は、59キロだ。元来太りやすい体質で注意をしていたが、夜の会食が多い仕事についていたこともあり67キロまで体重が増えたことがある。10年ほど前に一念発起してジムに通い、ジョギングや水泳で3年かけて58キロまで落とした。以後は、なんとか60キロを越さないように歩くことを中心にして体重の維持管理に気を使ってきた。年末年始などは飲む機会が多いので時にはオーバーしたこともあったが、概ね58キロ〜60キロの間を推移してきた。 昨日、久しぶりに体重を図ったらなんと48キロしかなかった。驚いて鏡を見るとそこにはやせ衰えて筋肉の落ちた自分の姿が映し出されていた。あまりにも情けない姿に愕然とした。肉体が衰えると急に年を取った感じがする。これからはまた歩くことを中心に筋肉を鍛えて、体重回復を最優先に考えて行きたい。そして今一度若さを取り戻したいと思う。 (2004年6月17日) TOP 126.子供の使い 「これが一国の首相が国民を背負って交渉した結果か、まるで子供の使いだ」。北朝鮮による拉致被害者家族連絡会副代表の飯塚繁雄さんの記者会見での言葉だ。私もまったく同感である。拉致被害者 家族5人の帰国は喜ばしいし、本当に良かったと思う。でも、拉致被害者の家族を日本に戻すのは当たり前の事だし、今回の訪朝は総理がわざわざ人道支援という名の身代金を持って迎えに行っただけだという思いがしてならない。 報道によると当初予定されていた午前と午後の2回の首脳会談は、なぜか午前だけで終了したという。それも通訳の時間をを入れて僅か1時間半だ。これでは他の拉致被害者の安否確認など突っ込んだ話し合いが出来る筈がない。小泉さんは事前に官僚の用意したシナリオ通りの発言をしただけだ。以前から、外務省には「北東アジアの平和と安定には、日朝関係の改善が不可欠だ。その為には拉致などの小異に目をつぶり、より大局的な観点から判断する」という考えがあった。今回の小泉訪朝は、まさにこの線に沿ったものだ。これは国として一番大切な国家・国民の安全を守るという理念に欠けている。このまま行くと恐らく拉致問題は棚上げされていくのではと恐れる。 人を拉致して、家族を人質に取り、その見返りとして25万トンの食糧援助と1000万ドルの医療支援を貰う。いくら小泉さんが「これは人道支援」だといっても誰も信じていない。誘拐犯人に身代金を払うと同じことだ。そのような詭弁を弄して国民を欺くことしか出来ない総理を持ったことを私は悲しい。今小泉さんに出来るのは、拉致問題の解決の目途が付くまで支援を行わないことだ。官僚が用意した作文をを読み、お土産(食料と医薬品)と交換に子供を引き取る。これなら私でも出来る。金正日が「子供の使い」が来たと喜んでいる姿が目に浮かぶ。 (2004年5月24日) TOP 125.年金未納問題雑感 抗がん剤の集中投与を受けるため5月6日から14日まで入院して来た。話には聞いていたが抗がん剤の副作用は想像以上に強烈で吐き気と倦怠感のなかでボケーとして過ごしていた。この間に年金未納問題が大きく揺れ動いて、福田官房長官の辞任や管民主党代表の交代が起った。更には、公明党神崎代表をはじめ多くの国会議員の未納が発覚して、最後には小泉首相の未納まで明るみに出た。 当初の「未納3兄弟」や管さんをはじめ民主党幹部の未納が発覚してきた時はなんとなくこれは「お笑い」だと感じていたが、ここまで多くの国会議員の未納が明らかになると制度そのものの欠陥があるといわざるを得ない。多くの未納議員(その説明を聞く限り)は、大臣や政務官の役目を終えて普通の議員に戻る時に国民年金への加入手続きをしていないのが実情だ。つまり大臣など政府の一員の時は厚生年金に加入しているので辞めたら自動的に国民年金に移行出来ると思っていたという。本人の自覚の無さがその原因だが、私にも少し思い当たることがある。 私は会社員生活だったから厚生年金に加入して来た。昨年9月満60歳で定年退職して年金を払う立場から貰う立場になった。退職前の会社での説明会で「奥様が60歳未満だったら、60になるまでは国民年金に入る義務があるので、退職したら市役所で必ず手続きを」と言われた。私もこの説明まではワイフは自動的に国民年金に移行出来ると思っていた。恥ずかしい話だがこのときから厚生年金と国民年金の違いや年金制度について少し勉強した。日常の業務に追われてなにか会社任せの気持ちが大きかった。退職後、失業保険や厚生年金手続きで終われてワイフの国民年金はすっかり忘れていた。市役所や社会保険庁からも何の請求も無かった。 11月末になりようやく毎日が日曜日の生活のペースを掴んで、少し長期の生活設計考えた時に未納に気がつき10月に遡って納めた。なんとか事なきを得たというのが実情だ。今、対象者の4割が年金を未納だという。その原因の根本は年金制度そのものと厚生官僚に対する不信だと思う。でも、その中には私と同じようにうっかりと忘れている人や定年退職者の妻などのように自分が加入対象者かどうか不明の人もいるのではと思う。この問題を解決するには難しいかも知れないが、運転免許の更新時にアラームを鳴らすとか何らかの対策が必要だと思う。そして制度に対する信頼性の確保が一番大切なことだと思う。 最後に話が飛ぶが我々の厚生年金で必要もない赤字施設を作り5兆円に上る損出出した厚生官僚に対しては強い怒りを覚える。年金制度改革の論議を進める上でこの問題の責任を明確にして欲しいと思う。 (2004年5月17日) TOP 124.食事を楽しむ戦い 手術のあと2週間は水はおろかなにも口に出来なかった。残った食道部分と胃が代用している食道部分(胃管と呼ぶそうだ)が完全に結合しているのが確認してから初めて食べられる。高エネルギーの点滴を常時受けていたので体力的な不安はもちろん、空腹感をあまり感じなくて過ごせた。でも同室の人が3度の食事を美味しそうに食べているの見るのは非常に辛かった。後半歩けるようになると食事時は、ベッドを離れて売店をのぞいたり、家に電話したりして気を紛らわせた。 退院したら何を真っ先に食べようかと良く考えていた。一番思い浮かべたのは、冷えたビールをジョッキでグイグイと飲む姿だった。それと何故か「てんや」の天どんをぱくつく姿だ。「アルコールを含めて何を食べて良いですよ。ただ、ゆっくり食べることとお腹一杯になっても無理してもう一口食べて下さい」と医者から言われて退院した。その夜、お祝いに息子とビールで乾杯した。待ちに待ったビールだが喉から下に入らない。なんとか少量を嘗めるように飲むのが精一杯だった。また、天ぷらなど油ぽいものはハナから口にする気になれない。 退院して3週間。なんとか体重減を元に戻そうと食べる努力をしている。しかし、少量の食事ですぐに満腹になるため、十分な量の食事が出来ない。食べられる量は、術前の7割程度だ。また、一度に口にする食事の量が多すぎると、胸に吊り上げられた胃管が膨らみすぎて肺や心臓を圧迫して苦しくなる。なにか胸が引きつかれた感じがして痛いときもある。さらには胃管内部で新しい食べ物に対して拒絶反応を起こして、受け入れるかどうか戦争をしている。水や食べ物を飲み込むのがやっとの時もある。本来楽しいはずの食事がこんなに苦しいとは想像も出来なかった。 ワイフは食べやすいもの・栄養価の高いものを中心に料理をしてくれている。頑張って食べなくてはと思うし、食欲もある。しかし食べれない。食事を味わうというより無理して食べているというのが今の実感だ。インターネット等で同病の方の体験記を読むと術前の状況に戻るのは相当な時間がかかりそうな感じだ。早く食事を美味しく、楽しく食べれるようになりたい。私の食事を楽しむ戦いはまだ始まったばかりだ。 (2004年5月4日) TOP 123.のどの下の胃袋 先月下旬に食道がんの手術を行った。年明けから食べる時に違和感を感じて近くの病院で検査して病気が判明した。最初に話を聞いた時には、頭が真っ白になり体に震えが来た。本やインターネットで調べて相当な難病であること、手術は大掛かりになること、2000年の時点で5年間生存率は64%であることが分った。「何故?この私に?」という思いと同時になんとか生き延びていたいという思いが同時に湧いてきた。 紹介された大学病院の先生と検査の合間に色々と話し合った。なんとか手術を避けて放射線治療で済まないかと模索する私に、完治するには手術しかないと説得する先生。技術的なことよりも人生観の話だった。幸い若さと手術に耐える体力がある私。日本で食道がんの手術では3本の指に入る先生を信頼して執刀をお願いした。今回の病気で本当に信頼出来る先生に巡り会えたことが一番良かった。そして、その腕にこれからの自分の人生がかかっていた。 手術は喉とお腹と右わき腹の3箇所にメスを入れて、食道を切り取り、胃を持ち上げて食道の代用とした。6人で7時間半かかったそうだ。私は麻酔のためなにも知らない。当初想定していたがん細胞は全部切り取られた。今までの所心配されていた肺炎などの結合症も起きていない。またリンパ線への転移もないみたいだ。現在は自宅療養中だが日増しに元気が出てきている。体重は7キロほど減り、声も嗄れ声になったが、時間をたてば回復すると言われている。なんとか5年間は生き延びるのがこれからの目標だ。 手術後3日目に上半身を鏡に映して見た。抜糸前の傷が痛々しい。そして、のどの下に胃袋が付いている。胃の形が体の正面に出ますと言われていたが、これほどはっきりと大きくまた分厚いとは衝撃だった。また、胃袋の重さを前かがみになると感じる。今は洋服の上からでも胃袋の盛り上がりが分る。退院当時はなんとかこの胃袋を隠せないかと考えたが、恥じることもないので公にすることにした。私のこれからの人生はこの「のどの下の胃袋」とともに歩むことになる。 PS:「のどの下の胃袋」の題名は、蚊帳吊りウサギさんの体験記より借用しました。 (2004年4月28日) TOP 122.恩返し サッカーの日本代表チーム(U-23)が見事アテネオリンピック出場を決めた。アウェイでの食あたりや一日置きの試合などハードな状況だったがプレッシャーに負けないで良く頑張ったと思う。これで彼らも自信をつけただろうし、アテネでの戦いで一段と成長して、将来の日本サッカー界を背負って行くと思う。試合中そしてインタビューを見ていて驚いたのは山本監督の表情だった。頬がごっそりこけ体重も明らかに減っていた。「絶対負けられない戦い」への圧力が監督を心労させたのだと思う。少しゆっくりと休養して次の戦いへ備えて欲しいと思う。 野球の日本代表監督長嶋さんの突然の入院には驚いた。頼まれたら断れない性格で様々な行事に「目玉」として登場したり、日本代表監督として12球団のキャンプを視察したり、その激務が病の引き金になったと思う。昨年11月に開催された野球アジア地区予選のあと、本人が「長い野球生活でプレッシャー感じたのは初めてです」と語っていたが、日の丸の重みと国民の期待を一身に背負ってきた辛苦がそこには表れていた。 幸い長嶋監督は一命を取りとめ、徐々に快方に向っていると報道されている。しかし、脳こうそくの後遺症は簡単には治らない。毎日、巨人軍の広報担当が「今日は・・・を食べた」等を記者会見しているが何か大本営発表みたいで信用できない。なにか無理をしても長嶋監督をアテネに行かせたいという球界の意志が見え隠れしている。フアンを安心させたい気持ちは判るが静かにそっとしておくのが一番だと思う。それよりも今野球界で一番しなくてはいけないことは長嶋監督の後任を早く決めることだと思う。現状では満足な指揮を執るのは無理なことは誰もが理解している。それを口にすると後任問題だけでなく過去の様々な問題が噴出して来るからしないだけだ。長年の「困ったときの長嶋頼り」のツケが廻ってきたのだ。 長嶋監督は私の子供のころからの憧れの人だった。早く元気になってもう一度ユニフォーム姿を見たい。だからこそゆっくり休ませて完全に回復するまで無理をしないでといいたい。本人も無念かも知れないが「よろよれで口も満足に開けない」監督の姿を見たくはない。球界の幹部は早く長嶋監督の後任を決めて監督をゆっくり休ませてほしい。圧力のない世界で休養させてあげたい。それが球界が長嶋に出来る唯一jの「恩返し」だと思う。 (2004年3月19日) TOP 121.些少な人間 神戸の児童連続殺傷事件の犯人であるA少年が7年間の医療少年院生活を終えて仮退所した。これからは一生罪を背負いながら償いの道を歩くことになる。実際、あの事件は残酷な手口と警察への不敵ともみられる挑戦、さらには犯人が当時14歳の中学生だということもあり本当に衝撃的だった。あれから7年、反省して更生の道を歩く元A少年を非難するつもりはないが、なんとなく胸の内がすっきりしない。 法務当局や少年院関係者は7年かけて少年の心を開き、更生の道を切り開いたことを誇りに思っているように見える。私から見れば7年かけてようやく正常な人間に戻ったのなら、これから一人の大人として7年間刑務所で罪を償って欲しい。犯行当時14歳で少年法の適用を受け刑罰に触れないことは理念では理解できるが心の中では釈然としない。報道によると、心理学者や教育関係者などを更生させるため10名で特別チームを結成したという。お見事、「罪を憎んで人を憎まず」の見本だと思う。人間一人を更生させるのは並大抵では出来ないかも知れない。でもそこまで本当にする必要があるのか疑問に感じた。しかもその費用は全て我々の税金で賄われている。 長崎で昨年起きた幼児殺害事件に関してある大臣が「父母は市中引き回しの上、さらし首に値する」と発言して話題になった。賛同した人も多いと聞く。今回の仮退所の話を聞いてこの発言を思い出した。人権保護や人間の更生は大切なことだ。でもそれも限度があるのではないかと感じ始めている。自分が高邁な理念を保持することの出来ない些少な人間であるということが今回の仮退所で理解出来た。まあ、それが私の生き様だから仕方がない。 (2004年3月12日) TOP 120.再発防止への道 麻原彰晃に死刑の判決が下った。当然のことだと思う。ここまで来るのに初公判から7年掛かった。もう、高裁に控訴しないで素直に刑に従ってほしい。本人は部下が勝手にしたことで、自分は無罪だと主張しているそうだが、遺族や転向した元信者の立場を思うとやりきれない。古今東西、宗教指導者は部下の罪を一身に引き受けて殉教者として死んだ人も多い。なんと麻原は小心な男かと思う。このような男を信じた人間がいることが不思議な気がする。 地下鉄サリン事件があった日、私は事件の起きた数分後に日比谷線築地駅から50メートルほど離れた所をバスで通過した。その後あちらこちらから救急車のサイレンが聞こえたがなにも意識しないで会社に向った。当時は21階に勤務していて窓は築地側だった。仕事にかかりふと空を見るとやたらとヘリコプータた飛んでいる。何事かと思うと、「席にいない社員の所在を確認する」ように人事部から社内放送があった。そのころから社員の家族からも安否を確認する電話が入り始めた。幸い社員には被害者はいなかったが、あとで家庭争議が起きた人もいたらしい。昼食時にこのような事件を起こすのはオウムか北朝鮮しかありえないと話題になった。このころからオウムは危険だと認識が多くの人々にあったと思う。 あれからまもなく9年になる。事件後様々な立場から事件の解明が行われた。また、実行犯の裁判でも事件の経緯は判明された。今回の判決でも動機や事実関係の認定が行われた。ただ、私からみたら何故人々がオウム真理教に入団して麻原を教祖とあがめたのかが今一つ理解できない。物事を信じるのは理屈ではないかも知れない。宗教とはそういうものだそうだ。でも、宗教と信心を隠れ蓑として同じような犯罪が起らないと保証出来ない。この判決を新たなスタートとしてさらに事件の解明を進めて欲しいと思う。それが再発防止への道だと思う。 (2004年2月27日) TOP 119.自分で自分の首を この所ほぼ連日のように咲き始めた梅を求めてデジカメを片手に鎌倉のお寺巡りをしている。同好の方が多いと見えて、多くのカメラマンと出会う。一人で最適の構図を求めて歩き回る人、あるいは光の加減かシャッターチャンスを待ち構えて動かない人など様々な形で撮影を楽しんでいる。また、週末ともなるとカメラと三脚を抱えた集団を多数見かける。鎌倉の自然を愛し、美しい花々を求めて鎌倉に写真を撮りに来る。写真を愛する鎌倉市民の一人としてとても嬉しい。 しかし、最近はカメラマンのマナーの悪さが目に付くようになった。立入禁止区域に平気で侵入する集団。美しい苔の庭に三脚を立てて接写するカメラマン。三脚や一脚が使用禁止と入り口で大きく掲示されているのに無視する人々。長時間一つの被写体に向ってカメラを向けて、他のカメラマンことを配慮しない団体などマナーの悪さは目を覆うばかりだ。一枚のナイスショット求める気持ちは理解出来るが、自然や花はみんなの共有財産ということを理解してほしい。また、花を美しく保ち拝観者に喜んで貰うためにお寺の方々が常日頃手入れしていることも知って貰いたいと思う。 鎌倉では撮影禁止のお寺がいくつかある。年々三脚や一脚等の使用禁止のお寺が増加している。カメラマンが集団で来て、三脚を立てるので通路が歩けなくなるからだ。静かに花と散策を楽しむ人々からのクレームも多いと聞く。先日撮影禁止のお寺でどうしても写真を撮りたくなり、庭で作業していた住職にお願いしてみた。すると住職は「マナーが悪いのが多いので止む無く撮影禁止にしました。一人で来てカメラが手持ちなら良いですよ」と許可してくれた。また、四季折々に美しい花が咲き、最近人気の高い海蔵寺の住職からは、「お寺に来たらまず仏様に手を合わせて撮らせて下さいとお願いするのが最初だ。最近のカメラマンには感謝の気持ちが薄い。集団で来て荒らして帰るだけのカメラマンには撮影拒否したい」との話を聞いた。 カメラの勉強するにはサークルに入るのが一番良いと聞く。私もなにか良いサークルがないかと捜している。サークル仲間と競争して、より良い写真を撮りたい気持ちは充分理解できる。だが、このようなマナーを無視した集団が増えると写真禁止のお寺が増えるだけだ。そうなると一番困るのは写真と花を愛する人々だ。今は自分で自分の首を絞めている状況だ。どうかマナーを守って貰いたい。 (2004年2月13日) TOP 118.学歴社会 民主党・古賀代議士の学歴詐称問題がもめ続けている。本人は離党で民主党は除籍で「けじめ」をつけたつもりだが、世間はそれを許さない。あの山崎自民党副総裁を破って当選したポスト手放したくない気持ちも理解出来る。でもこのまま無所属で在職しても仕事はなにも出来ない。恐らく最終的には辞任に追い込まれるだろう。ボロボロになって辞めるより、まだ若いのだから、今辞めて再起を期す本人のためにもなると思うが、誰もアドバイスをしないみたいだ。 彼は「ハク」をつけるために留学し、それがこの学歴社会では票につながると考えて公報に載せたのだと思う。国政選挙において、有権者は学歴を基準に投票するとは思わない。確かに選挙公報で同じ学校の卒業生だと分ると、なんとなく親しみを感じる。いわゆる「同窓の誼」というものだ。それを期待してか、市会議員の選挙では出身小学校から大学まで掲載している候補者もいる。私からみれば候補者がどの大学をでていても一切関係ないが、多少はそれが候補者を判断する目安になるのかも知れない。 この問題の根底にあるのは、日本の根深い学歴社会だ。ソニーの盛田さんが学歴無用論を唱えてから40年以上も経つが、学歴を重視する傾向はあまり変わらない。あと少しすると、一部の週刊誌が大学別にどの高校から何人合格したか特集を組む。毎年続いているということは売れているのだと思う。また、年に数回、経済誌は「一流企業・人事部長が薦める大学」等のタイトルをつけた記事が掲載される。多くの企業は学歴は問わないと表面的には述べているが、実態は有名校から学生を入社させたいと望んでいる。 社会に出て10年も働けば、どの大学の出身か、或いは大卒か否かは関係ない。人事部長もそれが分っているし、編集者や記事を書く記者も充分理解している。でも、世間の関心が高いから記事にして発行しているのだと思う。日本人の学歴を重んじる意識が薄まらない。古賀代議士が嘘をついたのは許せないが、ある意味では学歴社会の犠牲者だと思う。 (2004年1月31日) TOP 117.負け犬 ある新聞によると、どんな美人で仕事が出来ても、30代以上で未婚、子供なしは「負け犬」と言い切るエッセーが評判だそうだ。 また、著者は、彼女たちが何を言ってもそれは負け犬の遠吠えしか見えないと書いてある。 何となく暗い酒場か或いはの給湯室あたりで「どうせ私たちは負け犬よ」と愚痴っているお局さんたちの姿が思い浮かべられる。 これは情けない話で女性の結婚願望と自主性のなさを言い表している感じだ。 男性が30代で独身ならば仕事も遊びも油の乗った盛りで独身貴族生活(死語?)を満喫している筈だ。 元々「負け犬」という言葉の意味は「競争に敗れてすごすごと引き下がる人のたとえ」で、結婚は競争では決まるものではない。 勝ち負けは人生の最後に決めれば良いのであって、結婚云々よりは自分が今と未来を充実した生活を送ればそれで良いのだと思う。 結婚を競争と考える所に女性の社会的な弱さを感じるのは私だけだろうか? 私は長い会社生活で競争社会を生きてきた。 結果として社長にも役員にもなれなかった。しかし、私は自分が負け犬と思っていない。 色々な不満や失望を感じた時もあったが、満足したサラリーマン生活だったと今は思っている。 そしてこれからも充実した生活を送るつもりである。 結婚していようが独身だろうが、その人が充実した生活を送れば勝ち負けは関係ないと思う。 これは男女に共通したことだ。 エッセーの著者の酒井順子さんは「世間では、そのような女性たちを負け犬と見ていることを自覚したほうが楽だ」と述べているが、私を含めて大多数の人は30代で独身で子どものいない女性を「負け犬」とは見ていない。 むしろ豊かな可能性を持った人間と見ていると思う。女性たちよ頑張って欲しいと願う心境だ。 (書いてから、このエッセーは「若い女性特有の軽いノリを含んだものでおじさんが真面目に考えるものではないのかも」とも思った。) (2004年1月24日) TOP 116.自衛隊のイラク派遣 自衛隊の先遣隊にイラクへの派遣命令が出た。 本隊は先遣隊の報告を待って決めるというが、恐らく始めに派遣ありきで、派遣されることは間違いないと思う。 私は、小泉さんの言う「日米同盟の重要性」や「イラクへの人道復興支援の大切さ」、さらには「テロや脅しには屈しない」という考え方は充分理解できるが、今回の派遣に関してはなにか釈然としないものを感じている。 私は自衛隊がイラクに行くことそのものには反対しない。 しかし、行くなら「人道復興支援」でなく、「治安維持活動」で行くべきだと思う。 それが本来の自衛隊の任務であり、そのための訓練を受けている。 今回の医療や給水なら自衛隊でなく民間企業やNPOのほうがより専門性が高い能力を持っている。イランは危険だから民間ではなく自衛隊が行くというのが本音だと思う。 だからこそ治安維持が大切で人道復興支援はその後に来るものだ。 自衛隊は高性能の武器を持って行く。 襲われたら自衛のための戦いをする。 確かにそれは国際法上正当防衛の権利として認められている。 また、日本の最高裁も自衛権は憲法に抵触しないと判断している。 私が恐れるのはその次の段階だ。 一度襲われたら二度と襲われないように予防する。 予防のための戦いは憲法に抵触する。 ゲリラの巣を見つけたら、予防のためとして攻撃しない保障はどこにあるのかと聞きたい。 こうして戦争が拡大するのを恐れている。 湾岸戦争から10年以上経った。 日本人の自衛隊に対する意識も随分変ったと思う。 政府は自衛隊が「治安維持活動」で海外に行くのは憲法違反の可能性があると述べている。 自衛隊本来の任務を行えるように憲法改正も視野に入れて、自衛隊と国防のあり方を国会や国民全体で討議して一つのコンセンサスを得るのが今一番必要だと思う。 自衛隊の海外派遣はそれからでも遅くない。 なしくずしにことを進めるのが一番危険だ。 (2004年1月12日) TOP 115.再出発の年 新しい年を迎えた。なんとなく清々しい。 元旦に家族とお雑煮を食べたあと、鶴岡八幡宮・鎌倉宮・荏柄天神と銭洗い弁天に初詣に出かけた。 混雑を避けるため比較的早い時間に行くのでゆっくりと参拝できた。 毎年初詣では新年の「決意」を神前でお願いするのだがだが今年はなにも考えが浮かばない。 いつもどおりの家族の健康だけを祈念して来た。 昨年は、定年退職・孫の誕生・結婚30年など私にとっては節目の年だった。 様々な問題や計算違いがあったがほぼ満足の行く一年だった。 10月から毎日が日曜日の生活となり、今まで関係していた二つのボランテイア団体で本格的な活動を始めた。 また、鎌倉市の明日を考える会にも参加した。 でもこれでも週に3日ほどの活動だ。空いた時間をどう過ごすのかが今年の当面の課題だ。 今まで時間が欲しいと節に願っていた。 しかし昨年末、12月20日以降は2日しか予定が入らなかった。 暇な時間が沢山出来て時間を潰すのに少し苦労した。 今年もこれから2回ほど歩きに行くが、本格的な活動は11日からだ。 ぼちぼちとパソコンとデジカメの勉強を始めているが、一人ではなんとなく身が入らない。 鎌倉を良く歩いているが、用事がない限り電車に乗って出て行かなくなってしまった。 我ながら出不精になってしまったと思う。 また、無為に過ごす時間が多くなったと反省している。 段々好奇心が失われていく感じだ。 これが年を取るということかも知れない。 まだ老け込むには早いので今年は人生の再出発の年と位置づけて様々なことに挑戦していきたいと考えている。 皆様、今年一年宜しくお願いします。 (2004年1月4日) TOP |